2007年12月アーカイブ
”夕霧”という名の写真ユニット。女性3名から構成されている。
その夕霧の2回目の写真展「やまとなでしこ」という
女子ばかりを撮りあつめた写真展のパーティに行ってきた。
写真展のパーティに顔を出すことは稀!(残念なことに、そういう時間がぜんぜん取れないんだ!)
【Q】なのになぜ出かけたのですか?
【A】”夕霧”の命名者だからです!びっくり!でしょう。
写真展が開かれているのは、池之端(=電車なら千代田線、根津駅)にある
「藍染」という昭和6年建造の古い民家ギャラリー。(千代田線根津駅、2番出口を上がったら、まん前にクリーニングの看板がある。その横の小さな道をまっすぐ3分歩いた左手。立派な門と古い家が見えるからすぐわかるよ)
写真展の会場は、映画やCMの撮影にも使われる古き、懐かしき、威風ある門を備えた入るだけでもワクワクするギャラリーだ。
その家に負けぬよう写真展も、趣向を凝らしている。
たとえば、帰りにティッシュをもらったら、それがメンバーによる舞妓写真付きのものだった。
パーティには仲間も大勢駆けつけていて華やいだ空気だった。
開催まで頑張ってきたことを思い出したのか、それとも思いがけず大勢が来てくれたことに感謝してか、涙あり、笑いありの会だった。
ギャラリーの雰囲気も手伝って、映画、「3丁目の夕日」みたいに愛とペーソス溢れるいいパーティだったと思う。
ほんとうにおめでとう!!!
そんな会を眺めながら、この写真展が彼女らの人生にやがてどんな形になって置き換えられていくのだろうと考えていた。
確かなことは、2度目の写真展を計画し、実現させたことに、来場した仲間たちが勇気付けられていたこと。
人に勇気や夢を与えられる生き方とは、幸せなものだなぁと強く思った。
写真は、お土産にもらった夕霧ティッシュ(上)
来場者の中にリコーの藤森氏がいて(夕霧メンバーの一人と知り合いという)、
GR饅頭を差し入れとして持ってきておられた。美味だった。感謝(下)
写真展は18日まで。
早、1年も終わるのだなーと思ってしまう12月。
あの、不二家の事件は今年の1月のことだったとは信じられないくらい早いね、時の流れ。
忘年会が続く中、今日は仕事が終わってしみじみ飲みました。
かつて、東洋女子短期大学というところで、写真の講座を持っていたことがあります。
もう10年位前のことでしょうか。
PHaTPHOTOも創刊しておらず、いまの写真教室のきっかけになったものです。
多分3年くらい講座を持ちました。
その卒業生が集まって今も続いている写真教室があります。
夢倶楽部という名の写真教室。
今日はその教室の日でした。
と、どうじにその教室で学んでいた生徒の一人の告別式でもありました。
終わった後、思い出話やいろんな思いを語り合いました。
何より嬉しかったことは、お通夜や告別式にクラスメイトたちが行ってくれていたこと。
それに内の社内からも、また元社員もかけつけてくれたこと。
ほんとうにありがとうね。感謝します。
そして、何より悲しかったのはいろんな業務のために、自分自身がそこに出むくことが出来なかったこと。
残念です、自分自身に。
はるかに若い年齢で寿命を全うすることはそれぞれの運命だと思わなければいけないのだろうけど
仲間が欠けるってことは切ない出来事だね。
教室全員で冥福を祈りました。
身近な人の死は、残されたものにある種の勇気を与えていく、という言葉を読んだことがあります。
そのように頑張っていこうと思いました。
10月末のタヒチから始まった”御機嫌さんツアー”は、途中、札幌、長崎を経て
ついに、日本の南国宮崎へ!!!
その詳細は、宮崎ファットフォトファンクラブのHPに託し、
僕としては、最終日に組まれていた東国原宮崎県知事との対談模様を中心にいち早くお伝えします。
日ごろお世話になっているユーキャンの流行語大賞にも知事の言葉が選ばれたグッドタイミングだし。
知事との対談最後はツーショット撮影。
その後個別に宮崎の印象などインタビューを受ける
ツアー中、宮崎日日新聞の江夏記者にも取材を受けた。
PPF宮崎の会員が期間中、従姉妹と共に写真展”赤”という二人展を開いていたので
こちらにも顔を出す。
宮崎PPFもツアー中にグループ展を開催しており、こちらの写真展レベルは高かった。
